深谷忠記 (ふかや・ただき)

「毒 poison」 (2006年10)

入院患者・松永は、誰彼構わず暴言を吐き、周囲の誰からも嫌われ憎まれていた。 そんな人物が、病室で殺された。 犯人として逮捕されたのは担当医・高島真之。 だが、彼の無実を信じる恋人の看護師・柳麻衣子が真相を探ろうとするが……。 同じ頃、一時帰宅していた入院患者・池村が自宅で自殺した。 警察や保険会社は他殺を疑うが……。 二つの事件の関連は? 真相はいったい……。 史上最強の“毒”とはいったい何か。

真犯人は“人間は生きているだけで価値がある、というのは詭弁だ。 それは、存在を否定されかねない弱者のための言葉であって、存在しないほうが世のため人のためになる人間はいる”と考えていますが、私も同感です。 松永のような人間は、生きていても世の中のためにはなりません。 真犯人はある目的のために松永を殺しました。 言い方は悪いですが一石二鳥です。 周囲の人間は皆、真犯人に感謝したことでしょう。 池村の自殺の真相はなんとなく読めましたが、こちらも同情すべき点はたくさんあります。 因果応報と言うか自業自得と言うか。 松永と池村の死には必然性を感じましたが、少し不満がるとすれば、看護師・梓がなぜ“あんなこと”をしたのか、真之の母・希世美はいつ麻衣子を認めたのか、松永の妻・綾乃は真相を知ってこれからどうするのか、などが書かれていなかった点です。 真犯人がこれからどうするか、余韻を持たせた終わり方になっていますが、たぶん○○するのでしょう。 どんな人間でも殺してしまえば殺人という犯罪なので、たとえ理不尽だと思っても罪を償うべきなのでしょう。 実刑は免れないとしても情状酌量がつくはずだし、世間は(少なくとも私は)真犯人の味方だと思います。 きちんと罪を償って、正々堂々と生きていって欲しいと思いました。

 

「傷」 (2007年8月)

弁護士・香月佳美には、強姦という犯罪は特別の意味を持っていた。 20年前、姉・礼子が強姦され、自殺していたからだ。 そんな中、佳美の幼馴染みでもある珠季の夫・針生田耕介が教え子の大学院生を強姦しようとしたという事件に関わることになるが……。 書き下ろし長編。

いろいろ事件が起きますが、気の毒なことになってしまったと感じたのは珠季についてでした。 結果的に○を○してしまいますが、短絡的だと責めるのは酷かな、と。 ○された○にはあまり同情しません。 まあ自業自得とも言えるし。 “知る”ことも“知らない”ことも、事件のきっかけになってしまうのだな、と思いました。 もっと気の毒だなと感じたのは○○でした。 ○されていい人間はいないといいますが、○きていないほうがいい人間はいると私は思っています。 今作に、そういう人物が登場しますが、そんなやつらのために手を汚すことになってしまったのは残念で仕方ありません。 他に方法がなかったのか、と簡単に言うつもりはありませんが、やるせなさは残りました。 最後まで読んで表紙の意味がわかりましたが、確かに“真犯人”は許せません。 動機が違う方向のものだったら納得がいったかもしれませんが、“ああいう”動機では感情移入はできません。 過去の過ちは過ちとしてきちんと清算して、一からやり直して欲しいと思います。

 

ふかわりょう

「DSJ 〜消える街〜」 (2007年10)

物語の舞台は、どこにでもあるような平凡な街。 そこには、東大生・拓也、イマドキの女子高生・美奈、ストリートミュージシャンのヒデとニョロなどがいる。 その街から、ある日を境に少しずつ何かが消えていくようになった。 それはなぜか。 誰の仕業なのか。 雑誌に連載された「消える街」に加え、連載では明かされなかった“街からモノが消えた理由”と“消した正体”が明かされる、書き下ろしの「DSJ」を収録。

全体の95%くらいが会話文で、しかも“!”や“?!”や“!!”がやたらついていて、最初はとても読みにくかったです。 「消える街」を読み終える頃にはなんとか慣れて、しかも謎が残されたままで消化不良だったので「DSJ」はさくさく読めました。 読んでびっくり、「“そういう”ことか!」という感じ。 これは、両方読まないと意味がわからないかもしれません。 本当にDSJがあったら大変なことになりますが(あるわけないけど)、「ちょっと気持ちはわかるかも……」と思ってしまったことも事実です。 さすがにここまではやり過ぎだと思いますが……。 最初は戸惑っても慣れてくるに従って平気になってしまう、というのは恐ろしいことですね。 いい意味で経験を積むというのならいいのですが、逆の方向ではいけません。 これを読んだ後は、メールチェックするのがちょっと怖くなるかも(笑)。

 

藤本ひとみ (ふじもと・ひとみ)

「殺人の四重奏」 (2006年11)

黒ミサを繰り返す王の寵姫(「寵姫モンテスパン夫人の黒ミサ」)、“家族”の復讐を企む娘(「詐欺師マドレーヌの復讐」)、貴族令嬢に成りすまそうとする少女(「公爵令嬢アユーラのたくらみ」)、処刑された罪人の生き人形を作る女(「王妃マリー・アントワネットの首」)。 宮廷文化が花開くパリで、彼女たちを主人公とした、優雅なる残酷劇の幕が上がる。

一番印象に残ったのは「詐欺師マドレーヌの復讐」。 “家族”が○されたり、マドレーヌもうっかり○されたりしますが、結果的にはハッピーエンドかな、と。 “家族”の母親役・アマンダがカッコイイ。 父親役・オットンも、頼りなさげだけどちゃんと役割を果たしている。 マドレーヌがいい娘に育ったのも、この環境のおかげでしょう。 物足りなかったのは「公爵令嬢アユーラのたくらみ」。 「さあ、これからどうする、アユーラ!?」と思ったところで終わっちゃった感じ。 どうせなら、もっと闘って欲しかったかも。 でも、“ああ”したことがアユーラの頭のいいところなのかもしれません。 読んでいて辛かったのは「寵姫モンテスパン夫人の黒ミサ」の中で、幼児を……というところと、「王妃マリー・アントワネットの首」で、罪人を馬で……というところ。 読んでいて辛かった、というよりその部分は読めませんでした。 つくづくこの時代に生まれていなくてよかったと思いましたが、現代社会にも怖いことはたくさんありますね……。

 

「隣りの若草さん」 (2006年12)(Library)

若草家では、近世フランス史を教えていた大学を退官し年金暮らしの父・丈太郎63歳、独身で上場企業の重役秘書の長女・梅子30歳、作家志望の次女・桃子24歳、オーディションに落ちまくっているモデルの三女・桜子21歳、もうすぐ大学受験に突入する高校二年生の四女・百合子17歳、そして愛犬にして老犬の元帥は人間で言えば100歳、計5人と1匹が暮している。 3年前に仕事の関係で渡仏した母親・杏子の代わりを努めるのは日々家にいる桃子。 自分を含む(!)わがままな家族の面倒は見切れない!? 若草家の騒動を、元帥の視点から見たユーモア小説。

面白い! 藤本さん=フランスという単純なイメージしか持っていなかったので、こんなユーモア小説をお書きになるとは思ってもみませんでした。 元帥の視点というところも面白い。 厳密に言うと(厳密でなくても)“隣りの”ではないですけど(笑)。 一番共感を得たのは、やっぱり日々家にいて家事をしている桃子でしょうか。 もちろん、他のみんなの言い分もわからなくはないですけど。 確かに、外に出て働くことだけがエライことではないと思うし、もちろん外で働くのは忍耐力とか協調性とかが必要だということはわかるし、でも家事だって毎日毎日同じようなことの繰り返しでやってもやっても終わらないのに誰にも褒めてもらったり感謝されたりしないし、「そんなの当たり前」と言われるとちょっとムカつくし、お互いに「じゃあ外で働いてみれば」「じゃあ家事をやってみれば」と言いたくなる気持ちもわかるし。 4姉妹と父と犬という家族構成はそうそうはないかもしれませんが、それぞれが主張していることは結構よくあるパターンだと思います。 それでもこんなに楽しめるというのは、「そうそう、そうだよね〜」とか「それは言い過ぎじゃない!?」とか言いながら読んでいられる私自身は、そんなに切羽詰った状態ではないということでしょうか。 藤本さんには、こういうユーモア小説ももっと書いて欲しいです。

 

「王妃マリー・アントワネット <青春の光と影>」 (2006年12)

マリア・アントニアは、オーストリアの女帝マリア・テレジアの15番目にして末娘として生まれ、自由奔放に育った。 彼女は、フランスとの政略結婚により、14歳のときに次期国王ルイ・オーギュストの妻となり、マリー・アントワネットとなる。 そこから、波乱万丈の人生を歩むことになるとも知らずに……。 

読み始めてからも、読んでいる最中も、読み終えてからも、「なんか違う……」という思いが絶えず頭の中に湧き上がっていました。 「面白くない」とか「つまらない」とかいうことではなく、私が勝手に思い描いていたような内容ではなかったという意味です。 池田理代子さんの「ベルサイユのばら」や遠藤周作さんの「王妃マリー・アントワネット」でマリー・アントワネット像を心に刻んだ者としては、史実の上辺を淡々と綴るような描き方ではなく、小説ならばもっと踏み込んで描いて欲しかったな、という思いでいっぱいです。 ちょっと残念でした。

 

藤原伊織 (ふじわら・いおり)

「遊戯」 (2007年9月)

ネット上のビリヤードゲームで対戦した“ジャムライス”と“パリテキサス”。 ある事情から実際に会うことになるが、いつしか謎の男に監視されるようになり……。 著者の未完の遺作。 他に中編「オルゴール」収録。

「なぜここで!」と未完に終わってしまったことが残念でなりません。 いろいろな謎を残したままでも、「回流」の終わり方は好きなほうですが、やはり謎は解き明かされたほうがすっきりします。 “ジャムライス”が持っていた父親の遺品である○○は誰が何に使用したのか、とか、“パリテキサス”の父親が○○なのは物語にどう影響しているのか、とか、謎の男はいったい誰で何の目的があるのか、とか。 藤原さんはもちろん考えていたのでしょうけれど、それが形にならなかったことは本当に残念です。

 

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